昨今、コロナの話題ばかりになってしまうので、今回は趣向を変えて。
黒沢監督の完全主義はつとに有名だ。俳優の演技はもちろんのこと、大道具、小道具、衣装などとことん本物に
こだわったと伝えられている。私が黒澤映画に出会ったのは、小学校3年の時に見た「七人の侍」だ。
子供ながらにストーリーの面白さに圧倒された。それ以後同じ映画を何回見たことか。最初の頃は個性的な役者の一挙手一投足に魅了されたものだが、だんだんと画面の背景などに目が行くようになった。
そこで気づいたのが標題の通りなのだ。こんなことは私の知る限りどんな映画評論家も言っていない。例えば森のシーンがずいぶん出てくるものの野鳥のさえずりらしい声はほとんど聞こえてこない。夜のシーンでアオバズクらしい
声が聞こえたくらいだ。明らかに作為的と映るシーンがある。津島恵子演ずる「志乃(しの)」と木村功の「勝四郎」
が森の中で「密会」する場面。あたり一面に白い菊かと思われる花が咲き乱れているではないか。二人の密やかな出会いにふさわしい花園をイメージしたものか。日光が十分届かない林床にあんな群落があるのは不自然だ。あれがフランスギクとすれば当時日本には定着していない外来植物だから二重に不自然ということになる。と書いたものの、黒澤監督を貶めるつもりは毛頭ない。どんな完全主義者でも画竜点睛を欠くことはあり得るということ。何しろ半世
紀以上かけて20回も30回も見続けてきて、やっと気づいたのだから。敢えて言えば、自然を作品に忠実に表現するのは本当に難しいということか。