年が明けて間もなく、柴田敏隆さんが亡くなったとの知らせが届いた。私たちが親しみを込めて「柴さん」と呼んできた。柴さんは1953年、100年前にペリーが久里浜に上陸したのを記念して設立した横須賀市立博物館に初代学芸員として勤務されるとともに三浦半島自然保護の会の活動を精力的に支えてこられた。私は高校生の時、博物館に出入りして柴さんの弟子にしてもらったことがある。押しかけ弟子といったところで、柴さんにしてみると迷惑だったに違いない。剥製の作り方、野山の歩き方、生き物の識別法などを実地に教えてもらった。フットパスを始めとした歩く活動の原点だったと思う。
 実は柴さん、博物館の学芸員になる前に私が入学した市立坂本中学校の教諭をしていた。理科の担当で、教室を飛び出して裏山での野外授業がしばしば行われたという伝説が残っていた。私より5歳以上年上の人たちがその体験を語ってくれたのをよく覚えている。どんな狙いがあって野外を教室にしたのか、教師間の軋轢が生じなかったのか等々、お聞きしたいことが山ほどあった。
 数年前、環境学者として著名な世田谷の石弘之さん宅に泊めてもらったことがある。その際、サプライズと称して石さんが私を知る何人かを招集してくれた。鳥学者の樋口広芳さん、作家の加藤由紀子さんとともに柴さんが加わっているのに文字通り驚かされた。司馬遼太郎並にオール白髪の柴さんが今でも鮮やかに思い浮かぶ。もっと教えて頂きたいことがたくさんあったのに。合掌。